このまさわキャンプ場の過去と現在、
そして未来を語る

~このまさわキャンプ場オーナー・井上信一郎インタビュー~

相模原市緑区青根の道志川沿いにあるこのまさわキャンプ場は、1965年にオープンし、半世紀以上の歴史をもつキャンプ場だ。広葉樹林の山々に囲まれ、ゆるやかに蛇行した川が流れる抜群の自然環境、丁寧に整備されて使いやすい場内は、長年、多くのキャンパーに愛されてきた。春は新緑、夏は川遊び、秋は紅葉、夜になれば天体観測と、思う存分、自然を楽しむことができる。

しかし、自然と隣り合わせのキャンプ場の運営には、常にさまざまなリスクがつきまとう。2019年10月の「令和元年東日本台風(台風19号)」では、敷地の半分以上が浸水して壊滅的な被害にあい、2020年、コロナによって主力事業だった教育旅行(林間学校や自然体験教室など)は軒並みキャンセルとなった。

試練つづきの今、2代目オーナーの井上信一郎に、このまさわキャンプ場の過去と現在のこと、そして未来に向けた思いを語ってもらった。

 

林業の副業として始めたキャンプ場

オープンした頃のこのまさわキャンプ場

じつは井上家は、代々林業を営んでいた。しかし、高度経済成長によって安い輸入材が台頭してくると、材木が以前のようには売れなくなってしまった。そこで、生活のために副業として始めたのがキャンプ場だったという。

道志川流域には、今ではたくさんのキャンプ場がある。しかし、当時の日本にはキャンプ文化はなく、このまさわキャンプ場は近隣では2番目の速さでオープンしたキャンプ場だった。そんな時代に、いったいなぜキャンプ場を始めようと思ったのだろうか。

「あの頃は、キャンプにくるお客さんといえば米兵やボーイスカウト、教会の神父さんが子どもたちを連れてくるとか、そのぐらいだったそうです。でも欧米のキャンプって、キャンプなんだから何もいらない、質素でいいっていうものだったから、こっちはただ場所を提供するだけでよかったんです。つまり、初期投資が少なくて済んだ。そのうえ、少しでもお客さんがくれば日銭が入る。それがよかった。
だから普段は林業やって、週末はキャンプ場で日銭を稼ぐっていう感じだったみたいですね」

なんと、手軽に始められる副業として目をつけたのがキャンプ場だったのだ。インターネットもない時代、米兵向けの旅行会社にチラシを置くなどして宣伝し、ほそぼそと営業を続けていた。

昭和58年ごろのロッジ


 
 

「飯盒炊爨ブーム」でキャンプ場が本業に

飯盒炊爨ブームが転機に

事態が大きく変わったのは、1970年代半ばのことだ。どこの小学校でも、5年生になると必ず林間学校が実施され、みんなでご飯をつくるという「飯盒炊爨ブーム」がやってきたのだ。

先述のとおり、キャンプ場の数もそんなに多くなかった時代だ。このまさわキャンプ場は、バンガローや炊事場を整備し、多くの小学校が利用する人気のキャンプ場になった。

「ベビーブームと重なっていたこともあって、毎年のように、来年は1クラス増えるのでバンガローが足りませんって言われるんです。だから、どんどん増やしていきました。次の年には確実にお客さんが増えるとわかってるから、投資もちっとも怖くなかったんですよね」

バンガローは、持っている山から切り出した丸太を使い、基礎は自分たちでつくり、地元の大工さんに上物を建ててもらった。これが、ログハウスや古民家のように本格的な造りのため、建ててから30年以上経った今も、ガタがきたり、古びたりしているものはない。そんじょそこらの家よりもいい材木を使っているし、きちんとつくっているから頑丈なのだ。

「30年経ってるっていうとお客さんが驚くぐらいですよ。あれだけの造りをしておけば30年は平気で保つし、古くもならない。だから、そんなに高い買い物でもなかったなと思います」

1992年に新築したバンガロー。立派な造りがこのまさわキャンプ場の売りでもある

1992年、遠足に対応するために改修した炊事場

この立派なバンガローは学校関係者にとても喜ばれた。さらに、天気が悪くてもご飯だけはつくれるようにと、1クラスがゆったり使える広くて天井の高い炊事場を何箇所も用意した。教育旅行での使いやすさはどんどん向上し、その甲斐あって、旅行会社経由や口コミなどで、利用団体はどんどん増えたという。繁忙期には、1日で3~4校の学校が同時に利用することもあり、副業だったキャンプ場経営は、いつのまにか本業になっていた。

 
 

「オートキャンプブーム」による個人客の増加

70年代に始まったオートキャンプブームのころ

さらに追い風は続いた。70年代後半になると、今度は「オートキャンプブーム」が到来したのである。

それまでは野営できればよしとして、草ぼうぼうのままだった敷地も、車が入れられるように平にし、砂利を敷いて整備した。オートキャンプブームによって、個人のお客さんの利用も増えていく。

「さっきも言ったように、もともとの欧米のキャンプ文化っていうのは、質素で何もいらないっていうものなんだよね。でもこのときの日本のオートキャンプブームっていうのは、バブルに合わせて流行ったからなのか、メディアやメーカーがブームを仕掛けたからなのか、普段飲まないような高いお酒やお肉を買って贅沢するっていうのが当たり前でした。最近流行ってるグランピングなんかもそうだけど、キャンプにきたらいつもより贅沢するっていうのは、日本特有の文化なんだよね」

このオートキャンプブームは比較的長く続いた。しかし90年代に入ってバブルが崩壊すると、一旦は下火になったという。

「お客さんはやっぱり減ったよね。でもマニア商売って、伸びないけどつぶれないって言うじゃないですか。キャンプもそんな感じで、マニアの人たちは景気が悪かろうとブームが去ろうとずっときてくれるから、完全になくなることはなかったです。むしろ、たまにブームになったときのほうが特殊なんだと思います」

 
 

跡を継ぐために、仕事をやめて帰ってくる

若かりし頃の井上さん

現オーナーの信一郎が実家に戻り、キャンプ場を手伝うようになったのは、ちょうどこの頃のことだ。それまでの信一郎は、バブルの景気そのままに、遊んでばかりだったという。

「大学生の頃は、遊びすぎて寝る暇もなかった。夜どおし遊んで、朝4時からバイトやって、9時に大学行って、大学が終わるとまた1杯飲んで遊んで。1日3時間ぐらいしか寝てなかったと思うな。社会人になってもずっとそんな感じだったよね」

大学卒業後に就職したのは、リゾート開発のデベロッパー。八ヶ岳や伊豆などのリゾート地を飛び回り、バブルな客層にバブルな商品を紹介していた。

「でもリゾートなんて、景気の影響をモロに受ける業界でしょう。20代後半になってバブルが崩壊したら、リゾート商品なんて全然売れなくなったし、遊んでた仲間もみんな田舎に帰り始めた。それで、東京はもうつまらないなーと思ってるときに、親父が癌になったんだよね。じゃあしょうがないかと思って、帰りました。結局、親父は今も元気に働いてるんだけどね(笑)」

長男ということもあって、いつかは跡を継ぐつもりはあったため、すんなり戻ることを決めた。リゾート開発の仕事をやったのも、いつか跡を継いだときに役に立つことがあるだろうと思ったことが大きかったそうだ。

とはいえ、戻ったのはバブル崩壊後のタイミング。周りには、閉鎖したキャンプ場もかなりあった。このまさわキャンプ場は教育旅行の比重が高かったため、なんとか乗り切れたのだという。

「教育旅行って、予算もやることも毎年恒例で決まってるから、景気やブームにはまったく左右されないんだよね。1度利用するとその後も毎年きてくれるところがほとんどだから、突然、利用者が減ることもない。そのおかげで、うちは大丈夫だったんだよね」

 
 

ユーザー発信の「原点回帰のブーム」


その後、2016年ごろに、再びキャンプブームが起こった。80年代のオートキャンプブームと違い、今回のキャンプブームはソロキャンプや少人数のキャンプがメイン。レトルト食品やアルファ米を使う人もいるなど、欧米の質素なキャンプに近いものだった。これはいわば「原点回帰のブーム」だと信一郎は言う。

「今回のブームが前回と大きく違うのは、メディアやメーカーが仕掛けたものじゃなく、SNSを使ったユーザー発信のブームだったということです。メーカー発信だといいことしか言えないから、実際やったときにがっかりして、すぐに興味がなくなっちゃうんです。でも今回はユーザー発信だから、キャンプのネガな部分もちゃんと前に出てる。そういうことがわかったうえでのブームだから、この先もガクンと落ちることはないと思っています。といっても実際のキャンプ人口は1~2%しか増えてないらしいので、利用者の滞在期間が延びたり、回数が増えたりしている印象ですね」

こうして個人客も再び増え始め、リピーターもついた。ブームの勢いも衰える気配はない。経営は極めて順調だったという。

「でもその矢先にね、台風がね…」

 
 

台風によって壊滅的な被害を受ける


2019年10月12日、日本を縦断した「令和元年東日本台風(台風19号)」は、広い範囲に甚大な被害をもたらした。このまさわキャンプ場がある相模原市緑区周辺でも、1日に900mm近い記録的大雨が降り、土砂災害や川の氾濫が相次いで、激甚災害認定もされた。そして、道志川沿いにあるこのまさわキャンプ場も、壊滅的な被害を受けたのだった。

このまさわキャンプ場は、河原から段々状に敷地がつくられている。このときは、いちばん上の段にあるバンガローギリギリのところまで水位が上がった。高さにして、じつに約8メートルほどになる。

これは、バックウォーターと呼ばれる現象によるものだった。下流にあるダムが放流しなかった(もしくは放流が追いつかなかった)ために、上流から流れてきた水や土砂が行き場を失い、ちょうどこのまさわキャンプ場付近に溜まって池のようになってしまったのだ。

これが土石流や鉄砲水による水位上昇だったとすると、建物も一緒に流され、あとには何も残っていなかっただろうと信一郎は言う。不幸中の幸いといえばいいのか、バックウォーターによる土砂の堆積と水位上昇だったから、建物は土砂に埋まっただけで、流されずに残ったのである。

その痕跡は、現在も川の対岸に残されている。対岸の河原は、被災前は川の表面とほぼ同じ高さだった。しかし現在は、川底から数メートルほど上に河原があり、さらにその上に、そのときに流れてきた流木などがそのままになっている。水はさらにその上を流れていたことになる。

もともとは川面と同じ高さだった対岸の河原は数メートル高くなった

この開放感のある広い視界のほとんどが土砂と水で埋まっていたかと思うと、想像もつかない。

 
 

背中を押してくれたのは数百人のボランティア


台風が去った翌日、様子を見にきた信一郎は「これはもう無理だ」と思ったという。

自然あってのキャンプ場であり、これまでも台風や大雪など、災害の経験は多々あった。しかしこの時の被害は、それまでとは規模がまったく違っていたのだ。

「川沿いのバンガローは全部土砂で埋まっていたし、事務所の中を川が流れていたからね(笑)。これはもう直せないな、完全に無理だなと思いました。商売をやめることが頭をよぎりましたよ」

事務所の中を川が流れていた

しかし、そんなどん底を支えてくれた人たちがいた。

「何も言ってないんだけど、毎年利用してくれている学校やスポーツクラブの先生方や団体の役員の方が「手伝わせてください」っていっぱいボランティアにきてくれたんです。みんな楽しみにしてるから、なんとか復旧してもらって、夏には子どもたちを連れて来たいんですって。あとは地域の人がSNSで呼びかけてボランティアを集めてくれたり、個人のリピーターのお客さんがきてくれたり。地元の友だちも大勢きてくれましたよね。軽く3ケタは超える人が助けてくれたと思います」

多くのボランティアが復旧にかけつけた

そうしたらね、もう後には引けないっていうか煽られちゃうっていうか(笑)。諦めようかと思ったときに、そういう方々に背中を押された部分はありましたよね。長く付き合ってくれているみなさんがいたからこそ、これまでもやってこれたわけじゃないですか。その方々がなんとか復旧してほしいって力になってくれてるのに「もう無理です、やめます」とはなかなか言えなかったです。

まぁ、70歳まで働けるとしたら、あと20年弱あります。そうしたら、最初の10年でゼロに戻して、あとの10年で少し稼がせてもらえれば老後もどうにか暮らせるかなって。それで、もう1度がんばることにしました(笑)」

以前にも来たことがある人なら、敷地の形が少し変わったことに気づくかもしれない。重機を使い、積もった土砂や土石を取り除き、場内は整地し直した。重機が使えない建物内の土砂などはボランティアの人たちが手作業で地道に片付けていった。

建物内は人の手で土砂を片付けていく

ところが、だ。

半年が経ち、再オープンのメドが立った矢先、今度はコロナの流行によってお客さんが激減するという悲運に見舞われてしまったのである……。

 
 

コロナ流行により、教育旅行が「ゼロ」に

半年後、桜が咲くころにはここまできれいに復旧していた

それはあまりにも予期せぬ出来事だった。

コロナ流行により、緊急事態宣言が発令された影響で、教育関連の団体予約がすべてキャンセルになったのだ。減ったのではなく、本当に「ゼロ」になったのだという。復旧を手伝ってくれた先生方からも、申し訳なさそうに次々と連絡が入った。

どんなに景気の悪いときでも、教育旅行の利用は安定しているから大丈夫。そう思っていたところに、教育旅行の利用がまさかのゼロになるという事態は、前年の被災以上に「想定外」だった。

「キャンプそのものというよりは、観光バスなどの移動の問題が大きかったみたいですね。この先もずっと、学校の体験行事を全部中止にすることはないだろうと思うんですけど、先生方に伺うと、文科省や教育委員会から具体的な案が出てこないので、現場もなかなか動けないということでした。今後の目処は、今はまだ立っていません」

 
 

コロナ禍でも安心してキャンプを楽しんでもらうために


一方で、キャンプは野外でやるものであり、街中で遊ぶよりもソーシャルディスタンスを保てるということで、1度目の緊急事態宣言解除後は、個人客の需要は伸びている。キャンプ場は今、コロナを気にせず、安心して遊ぶことができる数少ないレジャーなのだ。

そこでこのまさわキャンプ場では、お客さんに、より安心してキャンプを楽しんでもらえるよう、当面は大人数でのグループキャンプは断り、家族や少人数でのキャンプのみの予約に限定することにしたという。1グループの人数は5人まで。オートキャンプの区画も減らして、他のグループと十分な距離が保てるよう、広くつくり直した。教育旅行も、当面は複数の学校を同時に入れることはやめ、1日1校に限定する。収益だけを考えれば厳しい選択だが、経営を考えた場合には、必要な措置だと考えている。

「バンガローも2棟、3棟まとめてのグループの予約は教育旅行だけで、あとは1棟ずつの予約をお願いしていきます。とにかく当分は、きてくれる人がコロナ禍でも安心して利用できることをなにより大切にしたいと思います」

1サイト5名まで。区画も広いから安心して楽しめます

試練つづきのこのまさわキャンプ場。しかしそれらの試練を経てなお、今後もこの場所を残せるよう、頑張っていこうと決めたという。

「まぁ、こんな特殊な仕事をしていると今さらほかの仕事なんてできないっていうのもあるんですけど(笑)、ずっと教育旅行を受け入れていると、毎年毎年、ちびっこが大勢くるんですよね。今は少子化になって、大手のキャンプ場なんかは教育旅行からは撤退してる。それで、グランピングなんかの客単価の高い仕事にシフトしているところが多いんだけれども、私は、ちびっこがキャンプする場所がなくなっちゃうっていうのがすごく心苦しいんだよね。少子化で、先細りになるのは目に見えてるんだけど、だからってちびっこのキャンプはもうやらないよってなってしまうのはなんか嫌だなと。

子どもたちがそういう体験をするのは必要なことだと思いますし、その機会をこっちからなくすようなことはちょっとできない。だからうちみたいなところが頑張って、できる限り続けていきたいなっていうことは、今回、あらためて思ったんだよね」

子どもたちが自然と触れ合い、キャンプを楽しめる場所を提供する。教育旅行に長年携わり、子どもたちの楽しそうな表情や成長を間近にみてきたからこそ、その思いは強い。

また、コロナ禍における遊び場づくりという意味でも、キャンプ場の果たせる役割は大きいだろう。子どもだけではない。wifi環境を整え、図書館やワークスペースをつくるなど、ワーケーションに対応していくことも計画中だという。

コロナ禍の今だからこそ、キャンプ場に果たせる役割がある。時代に合わせて形を変え、発展してきたこのまさわキャンプ場だからこそ、その柔軟な行動力と包容力で、やってくる人が求める心地の良い空間を提供してくれるだろう。

そしてここからまた、歴史は刻まれていくのだ。

記事掲載:2021年4月1日

インタビュー・執筆:平川まんぼう/写真:袴田和彦

このまさわキャンプ場
tel. 042-787-2051
〒252-0162 神奈川県相模原市緑区青根2745

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